例えば農商務省商工局「工場及ビ職工二関スル通弊一斑」(明治30年2月刊)を見ると・・・
紡績工場の幼年職工でも成人労働者と同様に、昼または夜の12時間労働が課せられていたことが判ります。
時には定時間外に2、3時間の残業があり、多忙の時は成人労働者と同じように朝5時から夜10時迄、もしくは深夜迄の15時間労働が行われていたのです。
食事または休憩時間があっても中途で受持場に帰ることも多く、日給制の職工では休憩時間中でも監督者の督責奨励によって、または自発的に執業することが常でした。
だから休憩時間といっても有名無実であったのです。
昼夜交代は1週間毎か10日毎の二通りの方法が一般的で、稀には14日か15日毎に行われました(『職工事情』)。
業紡績会社での徹夜業は普遍的でした。
明治16(1883)年創業の紡績会社では、増産のため翌年から夜業を採用し、昼夜業が原則となっていました。
全体的に徹夜業の健康管理は極めてずさんでした。
寄宿舎における紡績女工は肺結核患者が多く、その原因は綿塵を吸うことと同時に、徹夜業による疲労にありました。